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コラム

2E-ギフテッドかつ 発達障害である という二重の例外

2025.10.03

ギフテッドと発達障害

2023年度の文部科学省の予算で、「ギフテッド」と呼ばれる児童に対する支援を行う実証実験を委託するために、8,000万円が計上された(2022年12月24日付け日経新聞朝刊)。

現在、ギフテッド(Intellectual giftedness)という用語は、(各所で非常に多義的に用いられているため、定義付けることは容易ではないが)一般的には、勉学、芸術といった分野で非凡な才能を発揮する子どものことを意味する。
さらにわかりやすい指標で言えば、WAIS‐IVやWISC‐Vなどの心理検査で測定されるIQ(知能指数)で、130(標準偏差=15)以上の数値を叩き出す子どもは、ギフテッドと呼ばれることが多い。

もし我が子がそのような類まれな才能に恵まれていることを知ったら、親の期待値は高まるばかりだろう。
末は、博士か大臣か。
最高の教育を与え、才能を遺憾なく発揮できるようサポートしてあげたいと親ばかになる気持ちも、わからなくはない。
だが、現行の日本の公教育の制度の枠組みの中では、ギフテッドに対する「飛び級」や「特別支援教育」の仕組みは十全に整備されていない。
落ちこぼれの逆である「浮きこぼれ」やいじめ、不登校の問題が指摘されている。

一方で、近年マスメディアで「発達障害」が取り上げられる機会が非常に増えている。
2022年、全国の公立小中学校の通常学級に在籍し、発達障害が疑われる児童生徒が8.8%もいるというニュースが話題となった(2022年12月14日付け日経新聞朝刊)。

発達障害はもはや学校現場だけの話ではない。
どの職場にもそれらしき傾向を有する人がいる。
空気の読めない発言を繰り返す、挨拶や報連相ができない、帳簿の金額の桁を頻繁に書き間違える、衝動的に独断専行の行動をし、チームに迷惑をかける……。

現代において、発達障害と無縁でいることはまずない。
発達障害をもつ人を受け入れるべきか否かの話ではなく、既にあなたの傍にいるのである。

また、「障害」という言葉がはらむイメージで、見た目や挙動から健常者と見分けがつくと誤解している人はいまだに多い。
さらには、「知的障害」と勘違いしていたり、「発達障害=天才」という根も葉もない噂を信じて疑わない人もいたりする。
まず、その誤解を解くために健常者を啓蒙するところからスタートすることも多い。

「ギフテッド」と「発達障害」という、現代社会で耳目を集めるこの二つの概念だが、共通するのは、社会では例外的な存在であるという点である。
「普通」という言葉が殊更に強調され、そのスキームから外れる者は容赦なく排斥される日本の公教育・日本社会では生きづらさに苛まれる。

それは、ギフテッドとて例外ではない。
組織の中で他人と協調しなければ、「コミュ障」とされ、学校では「変な子」、会社では「使えない奴」と切り捨てられる。
日本では「普通の子」の方が圧倒的に生きやすい。

さて、そんな二つの「例外」を同時にもつ人間も中には存在する。
何を隠そう、本稿の筆者がその当事者である。我々のような人間を「2E」(ツー・イー)と呼ぶ。

「普通」になれなかった

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である」というのは喜劇王チャップリンが遺した名言であるが、私の人生にはとても似つかわしい言葉であると思う。
特に大学に入学するまでの学校生活は惨憺たるものだった。
同級生や教師から徹底的に睨まれたからだ。

小学生時代の記憶はあまりないのだが、給食を食べるのが遅く、周囲が給食を片付け掃除に勤しんでいる中、ぽつんと一人で給食を食べさせられていたことは鮮明に覚えている。
今の小学校ではこのようないことをさせられることはないそうだが、2000年代前半の地方の公立小学校ではこれが「普通」の光景だった。

テストは殆んど満点だったが、周りの優等生とは異なり、なぜか叱られる頻度が高かった。
とにかく身体が不器用だった。
鉄棒の逆上がりも、縄跳びの二重跳びも、水泳で二十五メートルを泳ぎ切ることも、おしなべて出来なかった。だが、短距離走では運動会のリレーの補欠に選ばれたりしたものだから、怠けているに違いない、と評価され、その都度叱責された。

中学に入ると、さらに管理教育とスクールカーストの洗礼を受けた。
校内は治外法権だった。ガムの包装紙が見つかるだけで学年集会、授業中椅子から立たずに発言しただけで大声で叱責を受ける……。
枚挙に暇がないが、学校の教師という人種とは仲良くなれなかった。

また、クラスでは目立つ人間の意見が強く、周囲もそれに同調した。
入学当初は少年野球をやっていたことと、成績が良かったことでカーストの上位にいたが、ADHD(注意欠如多動症)の特性である「衝動性」のため、クラス内で失言を重ね、幻滅され、次第に疎んじられていくようになった。
そして、クラスメイトからの待遇に不満を呈す形で、今度はという特性が顕在化した。
皆の前で泣き喚き、不登校になった。

不登校の児童・生徒の中の一群に、発達障害の子どもが含まれていることが強調されるようになったのは比較的最近の話である。
当時はまだ不登校を「甘え」だと見なす風潮が強かった。
精神医学の専門書を読み漁るのが趣味だった私は、自分が「アスペルガー症候群」(旧称。現在の「自閉スペクトラム症」)ではないかと疑うようになった。

親に頼み込み、医療機関を受診したが、医師から一蹴された。
成人後に3つの医療機関からADHD単体の確定診断を受けた筋金入りの発達障害なのだが、その頃はADHDの可能性については一切検討してもらえなかった。

その後も、学校へ行っては不登校になるということを繰り返していたが、何とか中学を卒業し、高校へ進学した。
高校でも案の定適応できず、自宅で勉強することが多かった。
だが、このホームスクーリングのような時間がたまらなく好きだった。
元自衛隊員だった祖父がした、ノモンハン戦争の資料に没頭し、その分野にはめっぽう詳しくなった。
一般的な勉強はあまり夢中にはなれなかったが、その後世間からは「高学歴」と見なされる大学・大学院へと進学することができた。

また、ADHDの特性の一つである「過集中」と高IQという特性を生かし、一ヶ月間の勉強で国家公務員総合職試験(キャリア官僚の登用試験。昔の国家一種試験)にも高い順位で合格することができた。

2Eであること

発達障害の他の当事者からは意外に思われるのだが、学生時代(特に高校時代まで)と比べて、社会人になってからの方がよほど社会に適応して生きている。
それは、学校より、社会の方がずっとヘンな人が多く、多様性に満ち溢れているからだと思う。
たとえ閉鎖的な職場であっても、二十代の若者から定年間際の中高年まで一緒になって働いており、学校のように同学年しかいない空間など社会にはまず存在しない。

また、これには「2E」のうちの、「ギフテッド」の部分が、良い影響を与えている可能性があると考えている。

精神年齢がかなり幼い部分がある一方、同年齢の人間より老成している部分も存在している。
だから、年長の人間に話が合わせやすく、可愛がってもらいやすい。
一方で、「ギフテッド」単体ではなく、人懐っこいADHDの部分が良い影響を与え、人とコミュニケーションを取るのが得意だと感じることも多くなった。
まさに両者の良い部分が同居しているような状態である。

私はADHD単体の人間とは異なるし、発達障害を併発していないギフテッドのみの人間とも異なる。
同じ傾向を有しているはずなのに、別の経路を辿ることが有意に多いと感じる。
「2E」は「2E」でしかない。

日本ではまだ「2E」に関する文献(研究論文、当事者研究、文藝作品、支援に関するナレッジ)が圧倒的に不足している。
だからこそ、私はその当事者として社会に向けて発信を続けていきたいと考えている。


寄稿者

凪紗 聖(なぎさ せい)
1993年生まれ。大学院を修了後、都内の官公庁で働く。
現在は、ギフテッドとADHDを併発する「2E」のライターとして社会へ情報を発信している。
JAPAN MENSA会員。
凪紗 聖さんのXはこちら

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編集長・デザイナー

『凸凹といろ。』の発案者で、代表。全体の企画、編集、デザインなどを行なっています。 時間感覚、短期記憶の弱さ、衝動的な発言(失言)や不注意など、自身の発達特性が原因でうまくいかず、 “人と働く”ことは早々に諦め、現在はフリーランスでデザイナー、イラストレーターとして仕事をしています。 やりたいこと、気になることが多すぎて手が回らないのが悩み。 タスク管理や見通しのつきづらい仕事にはなかなか手をつけられないなど困った特性がある反面、思いつきや衝動で動くことも多く、一旦動き始めるととても行動が早い。 雑談や人付き合いへの苦手意識が強いが、基本的に人が大好き。

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